水原一平が大谷翔平の口座から24億円を盗んでオンカジにぶちこんでいた事件がきっかけで、なにやらオンカジが注目されている状況があるようだ。
その状況のなかで、水原にギャンブル依存症の疑惑がかかったことで、ギャンブル依存症という大きな問題にあらためてフォーカスがあてられてもいるらしい。
ギャンブル依存症ってのは、オンカジに限らずすべてのギャンブルで起こりうる依存症で、歴史的にはオンカジなんてものが存在しない時代から問題になっている。
ギャンブル依存症って名前がつけられたのは1970年代だが、その症状自体は、明治大正の昔どころか江戸時代からあっただろう。いや、もっとずっと古い可能性すらある。
そんなギャンブル依存症が日本で最初に「社会問題」になって表面化したのは、言うまでもなくパチンコ四号機時代だ。
近代以降の日本の歴史上、もっとも多くのギャンブル依存症を生み出したのはパチンコでありその状況はいまも変わってないと私は思う。
水原事件の報道を見ると、どうやらギャンブル依存症とオンカジを紐づける報道が目立つ印象が強いが、さながらオンカジだけが原因であるかのような報道姿勢は、さすがに不自然すぎるし支持もできない。もちろん、無関係ではないが。
そこで、今回はギャンブル依存症とオンカジについて真剣に考えていきたい。
ギャンブル依存症はオンカジだけが原因でなるわけではない
当たり前の話だがギャンブル依存症にはオンカジだけが原因でなるわけではない。
むしろ、オンカジを利用するどころか、そもそもオンカジの存在を知らないような人のほうが、ギャンブル依存症になる確率は高いとさえいえるかもしれない。
なぜなら、日本にはオンカジという違法のギャンブル以前に、競馬や競艇などの公営ギャンブル、そして、「遊戯」というタテマエのギャンブルであるパチンコが、合法で気軽に遊べる環境が整備されているからだ。
「初めてギャンブルをやります」という人が、まずいきなりオンカジなんていうマイナーかつ違法なギャンブルに手を染めるということは、それほど多い事例ではないだろう。
おそらく、もっとも「ハードルが低いギャンブル」はパチンコであるだろう。競馬や競艇なんかよりルールが簡単で、予想なども必要ないから誰でも打てて、街中に施設があふれかえっていて、より「日常」に浸透しているのがパチンコである。
日本人の多くのギャンブルにハマる人の王道ルートは、まずパチンコを入り口にしてギャンブルの醍醐味(脳汁など)を味わい、そこから競馬競輪などの公営ギャンブルに向かうというパターンであるだろう。
オンカジとギャンブル依存症が結びつく瞬間というのは、この王道ルートの延長線上にこそ集中しているのではないだろうか。
というのも、オンカジというのは「知る人ぞ知るギャンブル」であり、すでにどっぷりとギャンブルに頭までつかっているような人間以外は、そもそも認知すらしていないギャンブルだからだ。
オンカジを発見している段階ですでに依存症が進行している
いうなれば、オンカジという違法のマイナーギャンブルにたどりついてしまっている時点で、すでにその人はある程度はギャンブル依存症が進行してしまっている疑いがある、という風に考えることができるように思う。
くだんの水原一平についても、24億をオンカジに突っ込んでしまえるというのは「末期のギャンブル依存症」であり、「軽度のギャンブル依存症」とはいえないはずだ。
水原には水原なりの「軽度のギャンブル依存症の時期」というのが間違いなくあったはずで、自分は、その初期の段階のギャンブル依存症はパチンコか公営ギャンブルだったんじゃないかと私は想定している。
オンカジがギャンブル依存症の入り口になることはあまりなくて、オンカジというのは「進行したギャンブル依存症と結びついたときに最悪の結果を生み出すタイプのギャンブル」といったところではないだろうか。水谷の事件は、そのもっとも極端な例だろう。
もちろん、オンカジが出発点でいきなり重度のギャンブル依存症になってしまう人の数がゼロであるわけではない。
広告なんかを見ていきなりオンカジで遊んでしまった人が、ギャンブルへの耐性も慣れもなく、ベテランのギャンブラーより重度のギャンブル依存症になるケースが多く報告されているのも一方では事実であるからだ。
水原についても、自分は「パチンコを気軽な入り口としたギャンブル依存症の王道ルート」を基準に考えてみたが、水原自身の口から「ギャンブル史」を聞いたわけではないから、あくまでも「もっとも想定しやすい想像」にすぎない。
ギャンブル依存症の症状とオンカジの相性の悪さについて
ギャンブル依存症の症状を見ていくと、オンカジというギャンブルと組み合わさったときに、もっとも最悪の症状と結果が出るという点は、強調しておいていいかもしれない。
これももちろん、オンカジ以外のギャンブルでも起こりうる結果ではあるのだが、「短時間で高額が消える」「スマホがあれば24時間いつでもどこでも遊べる」「キャッシュ感覚が希薄」などの様々な理由から、ギャンブル依存症とオンカジが出会ったときが極度にヤバいという話である。
まず、ギャンブル依存症にどのような症状があるのかを簡単に整理しておこう。主要な症状は以下になる。
- のめりこみすぎる
- どんどん賭け金が増えていく
- やめよう減らそうという意志があってもやめられないし減らせない
- ギャンブルをしていないと不安になって落ち着かない
- 負けた金はギャンブルで取り返すしかないと考える
- ギャンブルを理由に人に嘘をついたり借金をしたりする
ギャンブル依存症になる原因(リスク因子)としては「埋められない寂しさがある」「ストレスの発散が下手」「身近にギャンブルがある」などが考えられている。
これらのリスク因子は、もちろんギャンブル以外の依存症でも原因となることが多い。
これらの症状やリスク因子と、さきほど挙げたオンカジというギャンブルの三つの特徴を組み合わせて考えてみたい。
まず「短時間で高額の賭け金が消える」というのは、ギャンブル依存症のすべての症状との相性が悪い。
パチンコの場合「1万円を使い切る」ために、ある程度の時間が必要となるので、一日の負け額は「パチンコ店にいる時間」に応じてある程度上限が決まっている。
ギャンブル依存症であった場合でも、パチンコであれば一日のダメージは数十万単位でおさえることができるはずだ。もちろん、パチンコの場合そういった賭け方が数か月でも続いた場合には総額が膨れ上がっていき、借金生活にもなる。
オンカジの場合は、その「数十万円単位の賭け金」が「数秒」で消えることがザラにある。これが「最悪の相性」である理由のまず一つ。
「スマホがあれば24時間いつでも遊ぶことができる」については、「寂しさを埋める」「ストレス発散」「身近さ」の観点からみてかなり危険だ。
スマホ依存とギャンブル依存症というダブルの依存症になる場合もある。スマホ依存からのギャンブル依存症というラインも考えられるだろう。
「寂しさ」や「ストレス」を基軸に考えても、ギャンブル依存症とオンカジの相性は「最悪」のひと言だ。
当然、「24時間いつでもどこでも」という要素は、さきほどの「賭け金の増加」の観点からも危険で、「やめどき」が時間に左右されないから歯止めがきかなくなる傾向も強くある。
最後の「キャッシュ感覚がない」は、いうまでもなくかなり危険だろう。
クレカ利用による買い物依存症なんかもこのキャッシュ感覚の希薄さから症状が悪化するけど、オンカジとギャンブル依存症は、買い物依存症にちょっと似ているところがあるかもしれない。
パチンコの場合、一枚一枚万札を投入していく作業を通して「自分は金を使っている」という身体感覚をギリギリ維持できるけど、オンカジの場合は「金を使っている」という意識を維持するのが極めて難しいため「最悪」だ。
ギャンブル依存症は本人の意志ではどうすることもできない
ギャンブル依存症は病気であり、本人の意志ではどうにもならない。
「やめたくてもやめられないもの」だし、本人の意志とは関係なく症状がどんどん悪化していくものだ。
よく、ギャンブル依存症に対して「意志が弱いからそうなるんだ」というような自己責任論的な意見を投げかける人がいるが、これは根本的に「依存症」というものを理解していない。
私としては、「人間の意志というものを過信しすぎ」という危険すら感じる。むしろ、自分は意志が強い人間だなどと考えている人間のほうが、ギャンブル依存症になる危険性は高いかもしれな。
なぜなら、意志が強い人間は「自分なら大丈夫だろう」と自信たっぷりに考えがちだからだ。
もし、意志が弱いという自覚があるなら「自分は意志が弱いから、ギャンブルに手を出したら依存してしまうだろう」という風に、意志の弱さをきっかけに「入り口の手前」で引き返すこともできる。
「意志が強い」と考えている場合、ギャンブル依存症が進行しているあいだも「自分のような意志が強い人間が、まさかギャンブル依存症のはずではない」という風に自分に言い聞かせてしまう傾向もある。これは依存症患者に特有の「否認」とよばれる状態だ。
ギャンブル依存症にならないためには、とにかく「危険そうだ」と判断し、自分の意志を信用せず、ギャンブルに近づかないという方法をとるしかない。
その点、オンカジと比較して「気軽に遊べるパチンコ」は、意志が強い人をギャンブル依存症にする入り口として、もっとも危険だというのが私の考えだ。
オンカジは「違法性」のおかげで、ギャンブル以前に危険であることが明らかだし、海外サイトであることから利用のハードルが高いので、近づくまえにある程度の危機意識が発動するだろう。
一方、パチンコというのはダラダラと簡単に誰でも遊べてしまうからこそ「危険」が見えにくく、少額の積み重ねだから「進行」に気づきにくいという側面がある気がしてならない。
ギャンブル依存症のことを考えると、パチンコの身近さ気軽さが果たした責任の大きさを痛感することになる。
ギャンブル依存症とオンカジの関係性のまとめ
- 身近で気軽なパチンコがギャンブル依存症の入口になりやすい
- オンカジを発見する段階ですでに依存症がかなり進行している
- オンカジとギャンブル依存症の組み合わせは最悪である
ここまでギャンブル依存症とオンカジの関係について考察してみたが、まとめてみると、以上のようになるだろう。
ギャンブル依存症にならないためにはとにかくギャンブルに近寄らないという方法しかない。
どの街にもパチンコ店があるという日本の環境は、人に「いつでもギャンブル依存症になってくれ」と言っているのと同じだともいえる。
オンカジというギャンブルに関しては、オンカジを発見した段階で「ギャンブル依存症の治療を考えるタイミングである」と考えるべき「試金石」として考えることができるように思う。
もし、友人や家族などがオンカジに興味を示していたならば、重度のギャンブル依存症が身近にいる人間として、彼らの依存症に寄りそって進行を食い止めるための救済措置をとるのがいいかもしれない。
コメント